私と選挙

● 今大変忙しい時に、昭和32年から平成21年までの51年間の選挙に対する。経過・思いを書くと言うのは至難のことですが、漏れること、間違いを覚悟で書いてみます。
※昭和30年代の学生時代は、若い人・貧乏人は社会党で 年が言っている人・金持ちは自民党という時代でした。 当然私は若く・貧乏人ですから、社会党に懲りました。わたしだけでなく若い人はほとんどそうでした。
※32年に大学行くことを貧乏で断念。日通に入り 総務課に配属、よい上司で、将来会社の幹部になるためと、東京・名古屋の業務研究所によくいれ勉強させてくれました。いくつかの資格もとりました。
※時は昭和35年の安保反対闘争で世は騒々しくなりまして、国会を取り巻くデモが激しく、東大生の樺 美智子さんが圧死、世は大変でした。最後は岸内閣が総辞職する始末です。 私もデモに参加。
※当時は労働者が政権取れるのでないかと錯覚したものです。
※会社は幹部にと思いが強かったのですが昭和37年に労働組合の役員になりました。24歳の時です。(49歳まで現役の役員・後17年間は顧問です。)
※それから選挙の世界に入りました。最初は昭和40年の参議院選でした。
※新湊ののことを書きます、市長選挙の内藤さんと私の大事な友人の草島清二さんの2回の選挙は凄かったですよ、当時の社会党の委員長佐々木更三さんがきまして、放生津小学校の講堂が満員になりました。2回とも惜しいところで負けましたが、勝っていたら私の人生大きく変わっていたでしょう。 県会議員では故和田さん、棚田さん、片岡さん、市会議員では数か計算できないほどさせてい頂きました。 
※高岡市では故藤沢さんの市長選挙。県会では故藤沢さん、 中尾さん。市会議員では多くの方です。
※富山市では故改井秀雄の市長選挙これは勝ました(共産との共闘)。県会議員・市会議員でも多くしましたね。
※国政は3区の衆議院選挙は多くしました、全国区を含め参議院選挙も多くしまた。(本当に多数です)。

その他私は運輸労連の役員が長く日通も運輸労連の県下中に組織があり、組合員も多くいますので、入善町・城端・氷見・小矢部・福光など県下中の各町・市の選挙に関係してきました。
※小杉では町長選挙・県会議員をしました。町長選挙では約1500票の差で勝ちました。
※44年間していますので150回以上はしたでしょう。 ・・・・・・自分のは6回しました。(昭和50年代は市会議員・県会議員の話もありましたが出ませんでした。)

我が人生。人のため、世のため、弱者」のため、公平な社会建設のため、色んな理由をつけ人生を送ってきました。  会社には幹部といわれ夢もありましたが、若いときを考え(義と愛)が出てしまった人生ですね。しかし男は好きなことをしていますが、家内には世話になりましたと思います。
皆さん今回も頑張りましょうね・・・・
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●私の生活の方は会社からの給料・専従給料・会社の役員・社会労務士の資格を持っていますので活用するなど 皆さんの世話になりました。
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by pcfukukazu | 2009-08-20 09:06


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